「子供だけで泊まりに行っていいですか?」

<苗字も違う、住所も違う3人の子供>
 少し前の平日夜に、高校生と中学生の3人グループが泊まりにきてくれた。3人は苗字も違うし、住所も遠いのでどうやら親族というわけでもない。長野市に縁があるわけでもなさそうだ。そんな彼らはいろいろあって、互いに知り合い、泊まりに来てくれたようだ。

 高校生のひとり旅は時々ある。中学生のひとり旅も12年の営業のなかで両手で数えられるくらいはあった。100%に近いくらいの割合で事前に親御さんから「子供だけなんですけれども、泊まりに行かせていいですか」と連絡が入る。今回も各親御さんは予め宿に電話をかけてきてくれたり、お子さんを駅まで送ったりしているので、親に内緒で…というわけでもなさそうだ。

 <中高生の居場所>
 ネットで検索してみたところ、中学生の3.65%は不登校、なんていう数字が出てきた。28人に1人は不登校を経験しているという計算だそうなので、クラスに1人はいる、というような数字なのか。これは個人的な意見で、しかも自分の子供はまだ未就学児なのでこれから自分の考え方も変化してゆくことがあるかもしれないが、学校で学べることは多いと思いつつ、一方で学校以外で学べることも多いと思う。重要なのは、生きづらいと思う場から逃げる勇気と、逃げたときに他に自分の居場所があるのかどうか。物理的な居場所でなくとも、友達の存在なんかでもいいと思う(これは子供だけでなく、大人にとっても同じ)。

<ゲストハウスの社会的意義>
 
ゲストハウスを開業してすぐのころは、営業を軌道に乗せるためにあれこれ知恵を絞ったり、集まってくれる旅人たちの冒険話を聞いて「すごいな〜!」なんて盛り上がったり、そこに身を置くことがただただ楽しかった。今ももちろんその気持ちはある。ただいつの頃からか、自分が楽しいだけではなく、1166バックパッカーズにくると
・心が安定する
・やる気がでる
・新しい世界に触れられる 
そんな風に思ってもらいたいと考えるようになった。お堅くいえば、社会的意義というやつだ。

<ゲストハウスで考える多様性、ダイバーシティー>
 ゲストハウスには人が集まる。その多くが世界を旅していたりするので、視野が広い。「色んな人がいるよね」という考えが根っこにある人が多いので、例えば中学生がひとり旅でやってきても「え!中学生なの!一人でこんなところ泊まりにきて、親は何も言わないの?!」なんて変に心配するでもなく、「へー、中学生なんだ」程度で話題が移ったりもする。大人にとっても「仕事辞めまして…」なんて俯き加減で言うと、「あー、私も〜!」なんて明るく返されたりする。

<子にとっても、親にとっても>
 遠方の中高生にとっては交通費だとか、宿泊費もネックになるだろうから、1166バックパッカーズに泊まりに来るというのは、逃げ場というよりもちょっと特別な旅かもしれない(そういう使い方もぜひ引き続き)。近場の中高生が日常的に必要に応じてふらっと立ち寄れるような場所でもありたいと思う。自分も親なので、親の気持ちとして、「心配だけれど、ビジホよりは1166bpがいいな…」 とちょっと安心して預けられる、そのくらいの場所でありたい。けっこう我々宿側の力量(例えば怪我なく、健康に、気持ちよく滞在できるかなど)が問われるだろうけれど。

<中高生と大人の接点作り>
 数年前から考えていることの一つに、”学割的なもの” がある。”的なもの” という部分が重要。前述の通り、中高生にとって、1166バックパッカーズはいろんな大人と接する場であってほしい。なので、単に宿が中高生宿泊時に割引をするだけではつまらない。まだ妄想段階だけれども、例えば賛同してくれる大人が、未来に泊まるであろう中高生にカンパとして500円を残す(宿に預ける)。宿はそのカンパと同額(この場合500円)を割り引く。合計1000円を割り引かれた中高生は、カンパしてくれた(会ったことのない)大人に礼状を書く。そんなのはどうだろう。どこかで中高生の旅を応援してくれている大人がいるという接点になるのでは…なんて。ちょっとややこしいですかね。

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