わかりにくい状態がわかりやすいひと、わかりにくい状態がわかりにくいひと

 声をかけてもらったことがきっかけで、インタビューの連載をもっている。本業がライターのひとたちにいうのは本当気が引けるが、一方で自分は少なくともこの13年、仕事のなかでずっと誰かの話を聞き続けていたようにも思う(あぁ、「ライター」だから「聞く」はもちろんではあるが「書く」術が必要だと言われたら、まぁそこは…な訳だけれども)。

ひとの側面を考える

 先日のインタビューのお相手は、職業名で言うといくつかのそれを持ち、そして店舗のような場所を構えることもなく、それぞれの仕事を常にユーモアを持ちながら往来している。そのかたは、その多様さを “乱反射” と言った。
 あぁ、確かに。私は「そうですよね、私は(あなたの)その光のいくつかだけを見ているんだと思います」なんてことを伝えたところ、お相手からは「みんなそうだよね、いろんな側面があって」と出た。

「飯室 = ◯◯」の式

 録音データのなかの私は、「確かに…」なんて相槌を打っているけれど、うすっぺらの理解だったようで恥ずかしい。そこをスルーするな…と言いたい。録音データのなかの会話は、自分自身に対してのモヤモヤしていたものの根源に触れたような気さえした。
 自分のことを他者に紹介される度、「飯室 = ゲストハウスのひと」という式に違和感があった。ゲストハウス、というのは表面に出てきたひとつの事象であって、飯室を構成するものがゲストハウスと言うわけではない。加えてそこから、「ゲストハウス = 外国人向けの安宿」であったり「ゲストハウス = まちづくり」というような式がついてきたらなおさらのこと。「飯室 = 外国人向けの安宿をやっているひと」「飯室 = まちづくりをやっているひと」となると、自分の気持ちとは大きく乖離してくる。

わかりにくい状態がわかりやすいひとと、わかりにくい状態がわかりにくいひと

 とはいえ、「飯室 = ゲストハウスのひと」という式はわかりやすいし、わかりやすい方が他者は安心したり、物事がスムースに進むこともある。「ゲストハウスのひと」以外の言葉でどう飯室を表現したらいいのだろう、とも思う。つまりじぶんは、「わかりにくい状態がわかりにくいひと」なんだろうな、と思う。
 前述のインタビューのお相手は、表面化している形がすでに多様なので、それぞれの共通項を考えれば、なんとなく見えてくるものがあるような気がする。見えてこなくとも、「A = B」というような単純式で表すことができないことはわかる。つまり、「わかりにくい状態がわかりやすいひと」なのかもしれない。

みんな、わかりにくいを前提に

 インタビューのお相手がおっしゃったように、「みんないろんな側面があり、乱反射している」。みんな、わかりにくい状態にあるのだ。その「わかりにくさ」を前提にするということは、相手の話を聞くひとつの栞になるんだろうな、なんて思った。

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