不確かな罪滅ぼし
1166バックパッカーズを開業してから、かれこれ11年になるらしい。本当は日々のことがらを書き留めておけば、それを見返せばもっと鮮明に思い出すことも多いだろうに、この数年の自分はそこをサボっている。
それでも、開業したての頃のことで、よく思い出す光景というのがいくつかある。開業して間もない頃、ひとり旅の日本人女性をふたり迎えた。ちょうど今のように秋と冬の間の気候。ふたりのうちの1名は権堂駅から電車で湯田中を経由して野猿公苑へ行くと言う。バッチリ下調べをしている彼女の方が、右も左もわからずに長野市に引っ越してきて たかが3ヶ月ちょっとで宿を始めた自分よりもよっぽど観光地のことを知っていた。彼女はまだストーブもたいていない(そもそも、まだ暖房を購入していなかった)ラウンジで朝食を取り、荷物を全てもって権堂駅に向かった。
彼女が出発して10分くらい経ったころだったろうか、洗面所の棚に赤い細いフレームのメガネが残されていた。あまり記憶が鮮明でないのだけれど、あぁ、こういうことが宿屋では起こるのか…と一瞬呆然とし、それでもどうにかせねばと思い、もう1名の女子を宿に残して、自転車で追いかけた。彼女が通るであろう道を。
実は、大事なここからの記憶がまた不鮮明だ。でも、彼女にメガネを返せたんだったと思う。それは権堂の商店街でだったか、駅のホームだったのか。それでも、彼女にはメガネを渡せたんだったと思う。観光地の案内をしっかりとできなかった超新人の宿主にとって、それが罪滅ぼしのように感じていた。
明日、2021年10月23日で、1166バックパッカーズは11周年となる。年を重ねるごとに、始めた時と宿を取り巻く環境は変化する。例えば天災もそうだし、集客のチャンネルや、旅人のニーズ、そう言ったものも、なんとも瞬きをしているくらいの、それこそ "あっという間" に変化していってしまう。どこかにある「ついていかなくてもいいや」という気持ち。どこかにある「ついていかないと継続できない」という気持ち。そしてどこかにある「ついてゆきたい」という気持ち。無闇に流行りに流されず、ブレない軸を持ち、それでいていいものは取り入れ、ときに焦る。そんなふうに12周年も迎えられますように。
最後になりましたが、11年間気にかけてくだり、ありがとうございます。12年目もどうぞよろしくお願いいたします。
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