やらずしてできるようにはならぬのだね
スタッフそれぞれに小さな役割を持ってもらっている。その中でも、メルマガを書くというのを数ヶ月やり続けてくれているスタッフがいる。別に文章を書きたかったわけでもないだろうに、私がなんとなく「メルマガ書いてよ」なんて言い出したのが始まりだった。
そのスタッフは根がとても真面目だ。前職のアルバイト先では就業時間内に思ったように掃除が終了せずに、タイムカードに打刻してから清掃の続きをやったことがあるなんてエピソードも又聞きした(それって会社的にどうよ、とか、就業時間内に終わらせるように時間配分すべきでしょ、なんていう意見はまぁごもっともだけれども)。そんな真面目なスタッフなので、メルマガをひとつ書くにも数週間を要している(ように見える)。どうしていいのかわからずに、最終的に書けなかった月もあった。
そんなスタッフが「織絵さん、メルマガの、"誰に、何を届けたいか" っていう話ですが…」と切り出してきた。すでに数ヶ月書いてきたけれど、また根本のところに戻ってモヤモヤしているらしい。うむうむ、と聞き、私が思うところを答える。時間はかかれど、そして途中で立ち止まることあれど、根幹のところで諦めていないスタッフを見て、頑張っているなぁと感心する。
宿を初めてすぐの頃にイベントをやった。外部から話し手を迎え、私が(その頃はそんな言葉は知らなかったが)ファシリテーターのような立ち位置だった。今思うと、ひどい進行だったし、何がしたいかはっきりとしなかったイベントだった。それからというものそういう場に積極的に参加し、目の前のファシリテーターがどう運ぶのかを意識的に見続けた。そうして自分が主催する際にもなんとなく形になってきた。
もうひとつ別のエピソードを。20代の初めの頃、3年の海外生活中、日々のあれこれを綴っていた。文章が書ければ、旅をしながら生活できるのではと思い、未経験ながら海外で編集社にも飛び込んだ(けれどすぐやめた)。それでも何か自分の将来にヒントがあるのではとトラベルライターについての本を読んでいた。さらに遡れば、学生時代は日本語は美しいなぁとおもい、言語学を学んでいた。さらに遡ると、小中学生の頃は校内新聞も担当していて、書くことが楽しかった。つまり書きたいという意欲、言語に対する興味はずっと持っている。その割に、いまだにうまく書けやしないし、この年になって書く仕事をやってみたい…なんていうのはなんとなく恥ずかしい。一方で時々、書く仕事で声をかけていただき、私でいいのか…すみません…という気持ちを持ちつつ、嬉しくなって自分なりにやっている。
何が言いたいかというと、できるようになるには進むにはやるしかない、それに改めて気づいた。やってみた結果、自分にはできないことも多々あるとももうけれど、どっちにせよやらないことにはそれもわからない。当たり前だけれども、経験せずして一足飛びに "できるひと" にはなれないわけだ。
スタッフが(たぶん)一生懸命にノートにこちょこちょと書き込み、うーん…と無言で空中を見ている姿をみて、あぁ、私もちゃんとやろー、って思った話でした。
ちゃんちゃん。飯室でした。
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